東京地方裁判所 昭和54年(ワ)2674号 判決 1989年4月26日
主文
一 原告らの請求をいずれも棄却する。
二 訴訟費用は、原告らの負担とする。
理由
【事 実】
第一 当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告は、原告東絹代に対し一五〇〇万円、原告東啓美に対し一〇〇〇万円、及び右各金員に対する昭和五四年五月一八日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は、被告の負担とする。
3 仮執行の宣言
二 請求の趣旨に対する答弁
1 主文同旨
2 担保を条件とする仮執行逸脱の宣言
第二 当事者の主張
一 請求原因
1 当事者
(一) 原告東絹代(以下「原告絹代」という。)と原告東啓美(以下「原告啓美」という。)は、夫婦であり、原告絹代は、昭和四八年六月八日、後記のとおり国立大蔵病院(以下「大蔵病院」という。)において原告両名の長男智宏(以下「智宏」という。)を出産した。
(二) 被告は、東京都世田谷区大蔵二丁目において大蔵病院を開設し、その管理、運営を行つている。
2 分娩に関する準委任契約の締結
原告絹代は、昭和四七年九月ころ妊娠し(最終月経・同年八月二七日から四日間)、同年一二月ころから大蔵病院に通院して診察を受けていたが、昭和四八年六月八日午前五時ころから出産の徴候が現れたため、同日午前八時過ぎ、大蔵病院を訪れ、被告との間に、原告絹代の分娩介助を目的とする準委任契約(以下「本件準委任契約」という。)を締結して、同病院に入院した。
3 分娩の経過
(一) 原告絹代の陣痛は、入院後次第に強まつてその間隔も短くなり、昭和四八年六月八日午後二時半ころその頂点に達したが、以後微弱化し、同日午後五時過ぎにはほとんど消失した。
(二) 原告絹代は、同日午後五時過ぎ分娩室に移され、大蔵病院産科の河井禧宏(以下「河井医師」という。)及び同保坂孝二(以下「保坂医師」という。)の両医師により吸引分娩等の人工娩出術を受けたが、効果がなく、同日午後六時一〇分ころ、鉗子分娩(以下「本件鉗子分娩」という。)により分娩を完了したが、新生児(智宏)は、重篤な仮死状態であつた。
4 智宏の死亡
(一) 智宏は、出産後の経過が悪く、小児科に移されて治療を受けたが、昭和四八年六月一一日午前五時一八分、分娩障害による頭蓋内出血によつて死亡した。
(二) 智宏の右頭蓋内出血は、その部位、程度からみて分娩時の鉗子操作に起因するものである。
5 子宮頚管部の裂傷とその放置
(一) 原告絹代は、分娩後の経過が悪く、鮮血状の出血が多く貧血症状が顕著で、歩行も不自由な状態のまま、昭和四八年六月一四日いつたん大蔵病院を退院したが、同月一九日には四〇度近くの高熱を発したため、同日午後一〇時ころ再度同病院に入院して治療を受けた結果、一応の軽快をみたので、同年七月一一日同病院を退院した。
(二) しかし、原告絹代は、大蔵病院入院中、発熱や出血の原因について医師から何ら納得のできる説明を受けることができず、また、退院時にも、向後の療養について何の指導も与えられなかつたので、荒木産婦人科において重ねて診察を受けたところ、原告絹代の子宮頚管部に顕著な裂傷(以下「本件頚管裂傷」という。)があり、これが縫合されないまま放置してあつたため不完全な癒着状態にあることが判明し、同産婦人科の荒木俊一医師(以下「荒木医師」という。)から、子宮頚管部が右のような状態であるため、妊娠しても分娩時まで胎児を維持することは困難であつて、習慣性流産を起こすおそれがあり、仮に流産を回避することができても、胎児の成長に伴い裂傷部分が破裂するおそれがある旨告げられた。
(三) しかして、本件鉗子分娩以前には、原告絹代の子宮頚管には何ら異常がなかつたのであるから、本件頚管裂傷が本件鉗子分娩によつて生じたことは明らかである。
6 その後の流産及び死産の経過と原告絹代の出産不能
(一) 原告絹代は、その後、昭和五二年に妊娠したので、万全の注意を尽くして母体保護に当たつたが、切迫流産の徴候を示したため、同年二月一五日幸野病院を受診して手当てを受け、同月一九日から同年三月三日まで同病院に入院して治療を受けたものの、同月一六日再度顕著な流産の徴候が現れ、同年四月一〇日性器からの多量の出血と下腹部痛があつたため再度同病院に入院したところ、胎児が死亡したまま子宮内に残存している稽留流産の状態を呈していたため、子宮内容物除去手術を受けた。
(二) 原告絹代は、次いで、昭和五三年四月にも妊娠したので、同年六月八日流産を防止するため小豆沢病院に入院し、流産防止剤の投与を受けるなどの治療を受け、また、有効であるならば子宮口の縫縮手術を受ける予定であつたが、その後の診察により、本件頚管裂傷が子宮頚管部のかなり深いところまで進んでいて、縫縮手術を施しても十分な効果が期待できないことが判明したので、右手術を断念し、安静を維持しつつ自然の経過に委ねることとし、同月三〇日いつたん同病院を退院した。
原告絹代は、その後、自宅でできるだけ安静を維持するなどしていたが、同年九月八日ころから茶褐色の下り物が続き、同月一一日小豆沢病院訪院時に突然鮮血状の出血があり、内診の結果、子宮口が三指大に開き、胎胞が現れかけている状態であつたため、直ちに同病院に入院した。しかし、同月一三日、陣痛が生じ、子宮口は四指大に拡大したため、胎児の保持はもはや不可能との診断が下されて娩出術がとられ、死産の結果に終わつた。
(三) 以上の経過から明らかなとおり、原告絹代に生じた右(一)記載の流産及び(二)記載の死産は、本件頚管裂傷とその放置に起因するものであり、原告絹代は、もはや出産に耐えることのできない身体になつてしまつた。
7 被告の責任
(一) 被告の被用者で、本件準委任契約の履行補助者である保坂、河井両医師には、原告絹代の分娩手術施行について以下の過失があつた。
(1) 鉗子分娩の方法を選択した過失
ア 鉗子分娩は、産道に金属性の異物を挿入して胎児の身体、通常はその頭部を挟んで物理的な力を加えて胎児を娩出する方法であつて、それ自体、胎児及び母体に損傷を負わせる危険性をもつ手法であるから、分娩の状況、母体の状態などを子細に観察し、他のより安全な分娩方法が不可能であるか、又は著しく困難であると判断される場合でなければ行うべきでない。
イ 鉗子分娩に適する母体の状態は、陣痛が高潮し、子宮口が全開大となり、しかも、産道が鉗子で胎児の頭を挟んで引き出せるだけの広さをもつ場合でなければならない。したがつて、産道の狭さく、児頭の位置、大きさなどによつて抵抗する力が大であるときには鉗子によつて胎児を娩出することはできず、それにもかかわらず、あえて鉗子によつて娩出すると、過大な力が胎児にかかつて、頭蓋内出血などを来たし、胎児を死亡させたり、後遺障害を残す危険性が高い。
ウ 保坂、河井両医師は、原告絹代の陣痛が既に消失し、しかも、産道が狭く、硬いことを知りながら、帝王切開手術等のより安全確実な分娩方法を試みることなく、安易、かつ、無造作に鉗子分娩を選択してこれを行つたのであつて、右両医師には、分娩方法の選択を誤つた過失がある。
(2) 鉗子分娩実施の手技の過失
保坂、河井両医師は、原告絹代に鉗子分娩を実施するに当たり、その手技が著しく稚拙で未熟であつたため、智宏の頭部に不用意な圧迫を加えて頭蓋内に出血を生じさせ、また、原告絹代の子宮頚管部に本件頚管裂傷を生じさせたのであつて、右両医師には、鉗子分娩実施の手技の過失がある。
(3) 本件頚管裂傷を看過、放置した過失
前記(1)ア記載のとおり、鉗子分娩は本来母体に損傷を与える危険性が高いものであるから、保坂、河井両医師は、本件鉗子分娩後、原告絹代の子宮頚管部に裂傷がないかどうか等について十分注意し、仮に裂傷等を認めた場合にはこれを縫合するなどの適切な処置をすべき義務があるのに、漫然、本件頚管裂傷を看過、放置したのであつて、右両医師には重大な過失がある。
(二) よつて、被告は、原告絹代に対しては本件準委任契約の債務不履行に基づき、原告啓美に対しては民法七一五条一項に基づき、原告両名の後記損害を賠償する責任がある。
8 損害
原告両名は、保坂、河井両医師の前記のような初歩的な過失によつて、初めての子供である智宏を失つた上に、原告絹代は、本件頚管裂傷を負わされて出産に耐えられない身体になつてしまい、前記6(一)、(二)記載のとおり二度にわたる流産及び死産を経験させられるなど、それぞれ多大な精神的苦痛を被つており、これを金銭によつて慰謝するためには、原告絹代に対しては一五〇〇万円の、原告啓美に対しては一〇〇〇万円の各支払がなされる必要がある。
9 結論
よつて、原告らは、被告に対し、原告絹代については債務不履行による損害賠償請求権に基づき慰謝料一五〇〇万円、原告啓美については不法行為による損害賠償請求権に基づき慰謝料一〇〇〇万円、及び右各金員に対する訴状送達の日の翌日(原告啓美の関係では不法行為後の日)である昭和五四年五月一八日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払をそれぞれ求める。
二 請求原因に対する認否及び被告の主張
1 請求原因1及び2の各事実は、いずれも認める。
2(一) 同3(一)の事実のうち、原告絹代の陣痛が入院後次第に強まりその間隔が短くなつたが、その後微弱化したことは認め、その余は否認する。
(二) 同3(二)の事実は、認める。
3(一) 同4(一)の事実は、認める。
(二) 同4(二)の主張は、争う。
4(一) 同5(一)の事実のうち、鮮血状の出血が多かつたことは否認し、その余は認める。
(二) 同5(二)の事実のうち、原告絹代が大蔵病院入院中発熱や出血の原因について医師から納得のできる説明を受けることができず、退院時にも向後の療養について指導を与えられなかつたことは否認し、その余は知らない。
(三) 同5(三)の主張は、争う。
5(一) 同6(一)及び(二)の各事実は、いずれも知らない。
(二) 同6(三)の主張は、争う。
6 同7及び8の主張は、いずれも争う。
(被告の主張)
1 初診から入院までの経過
原告絹代は、昭和四七年一〇月九日、排尿後の出血と二週間前から頭痛があるとの主訴で、大蔵病院産婦人科を外来で受診し、妊娠(分娩予定日は昭和四八年六月三日)の診断を受け、以後大蔵病院に通院し、診療を受けるとともに、流産予防等について指導を受けるなどして妊娠末期に至つた。
2 入院から吸引分娩までの経過
原告絹代は、昭和四八年六月八日、自然陣痛が発来し、同日午前八時過ぎ入院手続を終えて大蔵病院に入院した。同日午前の回診時に河井医師が原告絹代を内診したところ、子宮口開大度は五センチメートル以上で、子宮頚部は八〇パーセント以上短縮し、児頭は左右の座骨棘を結ぶ線上より二センチメートル上にあり、子宮口の硬さは中程度で、子宮口位置は中位で卵膜は緊張し、陣痛は五分間隔で三〇秒あり、胎児心音は一一-一二-一二(五秒ごとに続けて三回計測した心拍数が一一、一二、一二であることを示す。以下同じ)で破水は見られなかつた。
その後、陣痛間隔が短くなり、血性分泌が見られ、同日午後四時に助産婦が内診したところ、子宮口は全開大しており、児頭はいまだ固定せず、前記と同位置にあり、破水はなく、陣痛は正常で、胎児心音も一二-一二-一二で異常は認められなかつた。
同日午後四時三〇分、自然破水があり、破水時羊水は著明な混濁が見られた。この時、胎児心音は一一-一一-一一と正常と認められたり、九-一〇-九とやや緩徐の傾向が見られたりした。そして、陣痛はあまり強くなかつた。そこで、河井、保坂両医師は、原告絹代を診察し、酸素吸入を行つた上、児頭の進行がなければ帝王切開もあり得ると考え、手術室にその準備を連絡するとともに、経過観察を厳重にした。
同日午後五時、陣痛が微弱となつたが、児頭先進部は産道内を左右の座骨棘を結ぶ線上まで下降し、分娩が進行している様子で、経膣分娩の可能性が認められたので、陣痛を促進するために子宮収縮剤アトニン〇・五単位一アンプルを五パーセントぶどう糖液五〇〇ミリリットルに溶解して点滴静注した。
この時点の原告絹代の状況は、(一)疲労気味で、陣痛が少し弱まつた傾向を示し、(二)子宮口は全開大し、(三)破水して、羊水は著明に混濁し、(四)児頭は左右の座骨棘を結ぶ線上まで下降し、(五)胎児心音は緩徐であつた。そこで、河井、保坂両医師は、右の状況を勘案して、急速遂娩の方針をとり、まず吸引分娩を行うこととした。
3 吸引分娩の施行と結果
吸引分娩の条件は、(一)胎児が生きていること、(二)児頭骨盤不適合がないこと、(三)胎胞が破綻(破水)していること、(四)子宮口は全開大ないしそれに近いこと、(五)先進部は児頭であり、一定の硬度があること、(六)反屈位、顔面位など胎位胎勢に高度の異常がないことなどが挙げられ、本件ではこれらの条件がそろつていた。
そこで、同日午後五時一三分、アトニンの点滴静注を開始し、同一五分に外陰部を洗浄後、導尿し、同三五分河井医師が吸引器の使用を開始したが、数回の吸引にもかかわらず児の娩出を見られなかつたので、娩出力を補助する目的で両手を腹壁上から子宮底部にあて、陣痛発作時に骨盤軸に沿つて強く圧迫し、胎児の娩出を容易にする方法をとつたが、児の娩出はできなかつた。
4 鉗子分娩の施行と娩出までの経過
前記のように、吸引分娩によつては児の娩出ができず、さらに、同日午後五時には胎児心音の聴取がほとんどできなくなつたので、母体に強心剤ビタカンファー一アンプルを注射し、同日午後六時七分保坂医師によつて鉗子分娩が施行され、同一〇分男子の出産を見た。
5 鉗子分娩の適応と条件
本件においては、原告絹代の陣痛及び腹圧が微弱化したほか、吸引分娩を試みても児頭が産道の一定部位に留まり、分娩経過が遷延し、胎児仮死の徴候が見られたことから、母子両者を救うために鉗子分娩の必要があり、かつ、既に児頭先進部が座骨棘間線に達していて、児頭が鉗子適位にあつたため、帝王切開を行わず、鉗子分娩の方針をとつてこれを実施したのであり、河井、保坂両医師において鉗子分娩の方法を選択して実施した点に過失はない。
しかして、鉗子分娩は極めて容易に行われ、速やかに児の娩出がなされたが、それは、児頭が鉗子適位にあつて、児頭側頭面になされた鉗子の装置が適正であり、かつ、鉗子分娩の手技が正確に行われたためであり、河井、保坂両医師の行つた鉗子分娩実施の手技に過失はない。
6 児の出生から死亡までの経過
児(智宏)は、出生直後心拍動のみが認められる重症仮死(出生直後の児の生活力表現法であるアプガール採点法では、一点で、第二度仮死)の状態であつたため、気道を確保するために直ちに気管内挿管が行われるとともに、呼吸の確立を目指して蘇生術が施行され、呼吸を促すよう各種薬剤が投与された。その結果、智宏は、同日午後七時自発呼吸をわずかにし、保育器に収容されて酸素投与が継続され、その後小児科医の管理に移されたが、筋緊張の低下、新生児反射の消失、呼吸障害や痙攣等の症状が頻々と起こり、呼吸不正のため挿管による人口呼吸が施行され、輸血、抗生物質・抗痙攣剤の投与等各種の措置が施行されたが効果がなく、同月一一日午前五時一八分死亡した。
7 児の解剖所見
智宏の解剖は、死後九時間たつた昭和四八年六月一一日午後二時一五分に行われたが、脳の所見としては、全体に浮腫状態で後頭頂から後頭部にかけて頭血腫に一致して硬膜下血腫が認められ、割面には右頭頂葉白質に不整形な新鮮血巣が認められた。この解剖所見に基づき、病理科医師相羽元彦は、死因を分娩障害による頭蓋内出血と診断し、小児科医師酒勾孝子により、その旨の死亡診断書が作成された。
頭蓋内出血の成因は、鉗子使用部分の智宏の側頭部の皮膚に外傷が見られないこと、同部の脳に何ら挫傷が見られないこと等から考えて、鉗子の直接の侵襲によつたものとは考えられない。智宏は、同月八日午後四時三〇分母体である原告絹代が自然破水し、羊水の著明な混濁が見られ、胎児心音は九-一〇-九とやや緩徐の傾向があつたことから、低酸素症が頭蓋内出血の成因となつたことが強く疑われる。さらに、娩出後四日間の生存期間中に何らかの止血機能低下があり、胎内脳内出血が誘因となつて悪循環を繰り返し、出血が更に助長された可能性もある。
8 原告絹代の出産から退院までの経過
原告絹代は、昭和四八年六月八日午後六時一〇分胎児を娩出後、同一四分胎盤を自然に排出したが、卵膜は自然排出できる程度に一部子宮内に遺残していた。その後、河井、保坂両医師は、子宮収縮状況及び出血の状態から分娩後の子宮弛緩性出血のないことを確かめるとともに、分娩後の経常的な確認の措置として、まず中指と人差指を膣内に挿入して触診し、次に膣鏡を用いて子宮頚管部を観察し、頚管裂傷や強出血を来すような裂傷のないことを確かめた上、膣会陰部の切開部の縫合を行つた。頚管裂傷等の裂傷のなかつたことは、分娩後の総出血量が一七〇ミリリットルと、通常以下程度のものであつたことからも明らかであり、河井、保坂両医師が本件頚管裂傷を看過、放置したことはない。
第三 証拠《略》
【理 由】
一 請求原因1(当事者)及び2(本件準委任契約の締結)の各事実は、いずれも当事者間に争いがない。
二 分娩の経過等
1 原告絹代が昭和四八年六月八日午前八時過ぎ大蔵病院に入院した後、原告絹代の陣痛は次第に強まり、その間隔も短くなつたが、その後微弱化したこと、原告絹代は、同日午後五時過ぎ分娩室に移され、大蔵病院産科の河井、保坂両医師により吸引分娩等の人工娩出術を受けたが効果がなく、同日午後六時一〇分ころ鉗子分娩により分娩を完了したが、新生児(智宏)は重篤な仮死状態であつたこと、智宏は、出産後の経過が悪く、小児科に移されて治療を受けたが、同月一一日午前五時一八分分娩障害による頭蓋内出血によつて死亡したこと、以上の各事実は当事者間に争いがない。
2 右当事者間に争いのない事実と、《証拠略》とを総合すれば、次の各事実が認められ(る。)《証拠判断略》
(一) 原告絹代(昭和一八年五月三一日生まれ)は、昭和四七年九月ころ妊娠し(最終月経・同年八月二七日から四日間。分娩予定日・昭和四八年六月三日。)、初産婦として昭和四七年一二月ころから大蔵病院に通院して診察を受けていたが、母体にも胎児にも特段の異常もなく順調に経過し、妊娠末期に至つた。
なお、原告絹代は、妊娠初期に大蔵病院において骨盤計測を受けたが、その計測値は標準的なものであつた。
(二) 原告絹代は、昭和四八年六月八日午前五時ころ、陣痛が発来して、分娩開始の徴候である性器からの出血(いわゆるおしるし)があつたので、大蔵病院を訪れ、同日午前八時過ぎ入院手続を終えて、第二陣痛室に収容された。この時、陣痛は五分間隔で三〇秒間継続し、破水はいまだなく、胎児心音は一一-一二-一二で正常であつた(一般に、胎児心拍数は一分間に一二〇ないし一六五が正常値であり、一七〇以上又は一〇〇以下では胎児仮死の危険がある。)。
その後、第二陣痛室において原告絹代の経過が観察されたが、同日午前一〇時三〇分ころには、陣痛は四分間隔で三〇秒間継続し、胎児心音は一一-一〇-一〇で正常であり、破水はまだなかつた。
(三) その後、同日午前中河井医師が回診時に原告絹代を内診したところ、子宮口五センチメートル以上開大し、子宮頚部は八〇パーセント以上短縮した状態で、児頭先進部は左右座骨棘を結ぶ線上より二センチメートル上にあり、子宮口の硬さは中程度で、子宮口の位置は中位であつて、経膣分娩として誘導可能な状態にあり、卵膜は緊張していたが、破水はまだなかつた。その後、陣痛は、同日午前一一時三〇分ころには、二分間隔で三〇秒間継続し、同日正午ころには、二分間隔で四〇秒間継続するようになつて、分娩が進行している様子が見られ、胎児心音にも異常は見られなかつた。
(四) 同日午後四時ころ、助産婦が原告絹代を内診したところ、子宮口は全開大し、児頭先進部は左右座骨棘を結ぶ線上にあつたが、破水はまだなかつた。
(五) 同日午後四時三〇分ころ、助産婦が原告絹代を再び診たところ、陣痛は一ないし二分間隔で五〇秒間継続しており、胎児心音は一一-一一-一一で正常であつたが、同時刻ころ、保坂、河井両医師が原告絹代を改めて診察したところ、原告絹代は破水しており、羊水は著明に混濁し、胎児心音は九-一〇-九と低下して胎児仮死の疑いがあつた上、陣痛もそれほど強くなかつたので、保坂、河井両医師は、三〇分ほど経過をみて児頭が産道内を進行しないようであれば、帝王切開手術による分娩も考慮しなければならないと考え手術室にその旨連絡するとともに、胎児の状態をよくするために原告絹代に酸素吸入を行つた。
(六) 同日午後五時ころ、胎児心音は九-一〇-一〇となつたり、八-八-八となつたり更に低下して胎児の切迫状態が進行し、陣痛も弱くなつてきていたが、保坂、河井両医師は、児頭先進部が左右座骨棘を結ぶ線上にあつたため、陣痛を促進すれば経膣分娩が可能であると考えて、原告絹代を分娩室に写し、同一三分ころ陣痛促進剤であるアトニン〇・五単位を五パーセントのぶどう糖液五〇〇ミリリットルに溶解して点滴するとともに、自然分娩が不可能な場合に備えて、児頭に吸引カップを装着して陰圧をかけて胎児を牽出する方法である吸引分娩の準備を助産婦らに指示したところ、胎児心音は同日午後五時一五分ころには九-九-九、同三〇分ころには八-九-九と低く、回復が見られなかつたため、右両医師は、急速遂娩の必要があると判断し、同三五分ころ吸引分娩を開始し、陣痛発作に合わせて、母体上腹部から子宮底を骨盤誘導線にそつて手のひら又は前腕部で押して腹圧を補助する方法であるクリステレル圧出法を併用しながら、約三〇分間に四回吸引を実施した結果、児頭は下降して産道口から見え隠れする排臨直前状態になつたが、胎児を娩出するに至らなかつた。
(七) ところが、同日午後六時ころ、胎児心音がほとんど聴取不能となつたため、保坂、河井両医師は、原告絹代に強心剤であるビタカンファ-一アンプルを筋肉注射するとともに、胎児の娩出を安易にするため会陰部を側切開した上、鉗子分娩の方法により胎児の娩出を図ることにし、同七分ころ、保坂医師が左右両葉に分かれているネーゲレ氏鉗子を片葉ずつ排臨直前にあつた児の左右側頭部に装着して牽引を開始し、同一〇分ころ、新生児(智宏)を牽出したが(本件鉗子分娩)、智宏は、呼吸運動や筋緊張等がなく、心音のみがわずかにある状態で、アプガールスコア一点の第二度の重症な仮死状態であつた。そこで、保坂医師らが直ちに蘇生器や気管内挿管による人口呼吸などの種々の蘇生術を施し、呼吸促進剤を投与するなどした結果、智宏は、同日午後七時ころようやくしやつくり様の反射をし、同三〇分ころには不完全ながらも自発呼吸を開始した。
(八) ところで、前記鉗子分娩を施行するに当たり、原告絹代には産道内に腫瘤や軟産道強靭などの障害はなく、また、前記(一)のとおり、原告絹代の骨盤計測の結果は正常で狭骨盤とは認められず、他に児頭骨盤不適合を認めるべき事情も存しなかつた。
なお、原告絹代は、同日午後六時一四分ころ、胎盤を胎児面にて自然娩出し、その後、同日午後七時三〇分ころ、側切開した会陰部の縫合が行われたが、分娩開始からそれまでの総出血量は一七〇ミリリットル(胎児娩出の分娩第二期までに出血はなく、胎児娩出後胎盤娩出までの分娩第三期に一五〇ミリリットル、その後会陰部の縫合までに二〇ミリリットルの出血があつた。)で、通常の分娩の出血量よりやや少ない程度であつた。
(九) 智宏は、その後大蔵病院小児科の管理に移され、種々の治療を受けたが、呼吸不全や痙攣等不安定な状態が続き、同月一一日午前五時一八分、分娩障害による頭蓋内出血により死亡した。智宏を病理解剖したところ、脳は全体に浮腫状態で、右頭頂部から後頭部にかけて頭血腫が見られ、頭血腫にほぼ一致して硬膜下血腫が見られたが、左右側頭部には特段の異常は認められなかつた。
三 右認定事実に基づき、まず、智宏の死亡につき、保坂、河井両医師に原告の主張する過失があつたか否かについて判断する。
1 鉗子分娩の方法の選択について
(一) 《証拠略》によれば、鉗子分娩は、胎児仮死や陣痛微弱、分娩遷延、母体疾患等があつて、外子宮口が全開大してから胎児が娩出するまでの分娩第二期にかかる時間を短縮して、分娩を急速に完了させる必要がある場合などに適応があること、鉗子分娩を施行するための主要な条件としては、(1)子宮口が全開大であること、(2)破水後であること、(3)児頭が鉗子適位にあること、すなわち、少なくとも児頭最大周囲が骨盤入口を通過していること、(4)児頭と骨盤との不適合がないこと、(5)産道内に腫瘤や軟産道強靭などの障害がないこと、(6)胎児が生存していることなどが挙げられていること、鉗子分娩は、その施行に先立ち産道を拡大するために会陰側切開を行うことなどから、会陰等の裂傷の程度が大きく、児頭の自己回旋に不利であつて、胎児の頭蓋内容に悪影響を及ぼす危険があり、手技も難しいが、胎児を確実に牽出できること、以上の各事実を認めることができる。
(二) そこで、まず、本件において鉗子分娩の適応があつたか否かについて検討するに、前記認定のとおり、保坂、河井両医師が原告絹代に経膣分娩をさせようとして陣痛促進剤を点滴したり、クリステレル圧出法を併用して吸引分娩を行つた結果、児頭は下降して排臨直前になつたが、胎児心音がほとんど聴取不能となつて胎児仮死が強く疑われ、胎児救命のため可及的速やかに胎児の娩出を完了させる必要があつたのであるから、本件において鉗子分娩の適応があつたことは明らかである。
次に、鉗子分娩施行の条件について検討するに、前記認定のとおり、鉗子分娩施行の段階では、子宮口は全開大して破水し、児頭は既に排臨直前になつていて鉗子適位にあり、また、産道内に腫瘤や軟産道強靭などの障害はなく、児頭骨盤不適合を認めるべき事情も存せず、いうまでもなく鉗子分娩施行時点において胎児は生存していたのであるから、本件においては、鉗子分娩施行に主要な条件を充足していたということができる。
そうだとすると、鉗子分娩には、前示のとおり、胎児の頭蓋内容に悪影響を及ぼす危険性や手技の難しさ等が認められるものの、胎児心音がほとんど聴取不能の仮死切迫状態になつていて胎児救命のため可及的速やかに胎児の娩出を完了させなければならない状況の下において、保坂医師らが鉗子分娩の方法を選択したことは、産科医師として許容された裁量の範囲内の行為ということができるから、同医師らが鉗子分娩の方法を選択したことに過失があつたということはできない。
2 鉗子分娩実施の手技について
(一) 前記認定のとおり、智宏の解剖所見によれば、脳は全体に浮腫状態で、右頭頂部から後頭部にかけて頭血腫が見られ、頭血腫にほぼ一致して硬膜下血腫がみられたというのであるから、分娩に際し智宏の頭部に相当大きな外力が加わつたことが強く疑われ、また、前掲乙第一五号証によれば、頭血腫や硬膜下血腫が鉗子分娩の施行に伴つて生じやすいことが認められる。
(二) しかしながら、前記認定のとおり、智宏の解剖所見によれば、鉗子を装着した左右側頭部には頭血腫、外傷等特段の異常は認められていないこと、鉗子分娩開始から児の牽出までわずか約三分の短時間で終了していて鉗子操作が順調に行われたと考えられることに加えて、鉗子分娩施行以前に胎児心音がほとんど聴取不能になつていたことから、鉗子分娩施行以前から頭蓋内出血が生じて智宏が重篤な仮死状態になつていた可能性があることにかんがみると、鉗子操作を直接の原因として智宏の頭蓋内出血が生じたと考えることには強い疑問が残るほか、前示のとおり鉗子分娩には本来的に胎児の頭蓋内容に悪影響を及ぼす危険があり手技も難しく難点があることに照らせば、仮に鉗子操作によつて智宏の頭蓋内出血に何らかの影響を与えたとしても、それは、胎児救命のため可及的速やかに胎児の娩出を完了しなければならない状況の下において施行した鉗子分娩に伴うやむを得ない結果というべき余地があつて、直ちに鉗子分娩の手技が稚拙で未熟であつたとはいい難いことを考えると、右(一)記載の事実があるからといつて、本件鉗子分娩における保坂医師の鉗子操作が産科医師としての水準に達していなかつたということはできず、他に保坂医師の鉗子分娩施行の手技に過失があつたことを認めるに足りる証拠はない。
3 以上のとおりであるから、智宏の死亡について、保坂、河井両医師に過失があつたということはできず、したがつて、また、右両医師を履行補助者とする被告において、本件準委任契約の本旨に反する不完全な履行をしたということもできないから、原告らの本訴請求のうち、智宏の死亡による損害の賠償を求める部分は、その余の点について判断するまでもなく、理由がない。
四 本件頚管裂傷の発生について
1(一) 《証拠略》によれば、頚管裂傷は、鉗子分娩等による急速遂娩や高年齢初産婦によくみられる頚管の強靭などを成因として妊産婦に発生することがある子宮頚管部の損傷であり、その大部分は出血がないかあるいは少量の出血のため見過ごされている軽度の裂傷であるが、数センチメートルに及ぶ子宮動脈の分枝の断裂のため大量の出血とショックを引き起こし、ときに母体死亡をもたらす高度の裂傷もあること、頚管裂傷に対する処置は、その裂傷の程度に応じて異なり、裂傷が軽度の場合、出血がなければ放置してよく、少量の出血があるときは圧迫タンポンをし、出血が多量の場合又は出血が多量でなくとも裂傷が数センチメートルに及び次回の妊娠、分娩に障害を来すことが予想される場合には縫合を行う必要があることが認められ、《証拠略》によれば、本来縫合しなければならない程度の頚管裂傷が発生したのにこれを放置した場合、頚管無力症ないし頚管不全症の原因となり、妊娠しても流産や早産を起こしやすくなることが認められる。
(二) ところで、原告らは、保坂、河井両医師には本件頚管裂傷を看過、放置した過失がある旨主張するのであるが、前示のとおり、頚管裂傷が発生しても裂傷が軽度で出血がなければ何ら特段の処置をしなくてもよく、出血が多量の場合又は出血が多量でなくとも裂傷が数センチメートルに及び次回の妊娠、分娩に傷害を来すことが予想される場合に初めて縫合を必要とするのであるから、頚管裂傷を看過、放置したことが保坂、河井両医師の過失になるというためには、右の縫合を必要とする程度に高度の頚管裂傷が発生したのにこれを看過、放置したことを要するものというべきである。
そこで、本件鉗子分娩によつて原告絹代に右のような高度の頚管裂傷が発生したか否かについて、以下検討する。
2 《証拠略》によれば、原告絹代は、昭和四七年一〇月一一日から同年一一月三〇日まで切迫流産の徴候があつて荒木産婦人科に通院し、その後は分娩に至るまで大蔵病院で診察を受けていたが、この間、同原告の子宮頚管には何ら異常が見られなかつたことが認められる。
しかるに、《証拠略》によれば、原告絹代は、昭和五三年二月二八日、妊娠希望などを主訴として、東京母子病院(同病院は、その後小豆沢病院に統合されたが、同病院統合後についても「東京母子病院」という。)を外来で受診し、武村晴正医師(以下「武村医師」という。)が内診したところ、左方に裂ける顕著な陳旧性頚管裂傷が認められたほか、子宮膣部の短縮や子宮旁結合織の左方に裂傷に伴う出血による炎症の瘢痕のような硬結等が見られたこと、原告絹代は、その後妊娠し(最終月経・同年四月一日から五日間)、同年五月一〇日から東京母子病院に通院していたが、流産の徴候が現れたため、同年六月八日病院に入院したこと、東京母子病院においては、当初、原告絹代に対して流産防止のためシロッカー手術を施行する予定であつたが、その後の診察の結果、原告絹代の陳旧性頚管裂傷は深く、内子宮口まで達している疑いがあつたため、同病院院長の竹松医師らは、同月二〇日、シロッカー手術の施行は不可能と判断してこれを断念したこと、原告絹代は、その後、流産の徴候が軽快したため、同月三〇日東京母子病院を退院し、通院しながら自宅で安静に努めていたが、同年九月八日から茶褐色の下り物があつたことなどから、同月一一日、東京母子病院を訪れ、診察を待つていたところ、性器から多量の出血があり、そのまま同病院に入院したこと、そして、内診を受けた結果、子宮口は三指半大に開大して卵膜の一部が子宮口を通つて出て来ている状態で、治療の方法もないまま、同月一三日、原告絹代は、妊娠二三週と四日で流産したこと、以上の各事実を認めることができる。
右認定の事実によれば、遅くとも昭和五三年二月二八日の東京母子病院受診時までに原告絹代に高度の頚管裂傷が生じたことは明らかである。そして、大蔵病院で原告絹代に施行したような鉗子分娩が頚管裂傷の成因となり得るものであることは、前示のとおりである。
3 そして、証人荒木俊一(第一回ないし第三回)は、本件鉗子分娩後約五〇日を経過した昭和四八年七月三一日荒木産婦人科を外来で受診した原告絹代を同産婦人科の荒木医師が内診したところ、子宮頚管部の二時ないし二時半方向に頚管裂傷があり、その程度は視診の限り相当深いものであつた旨証言し、前掲甲第一二号証(荒木産婦人科の原告絹代のカルテ)にも右証言に符合する記載があり、証人幸野義信(第一回)は、幸野病院の産婦人科医師の幸野義信(以下「幸野医師」という。)が昭和五二年二月二六日切迫流産のため同病院に入院中の原告絹代を膣鏡により内診したところ、子宮頚管部の三時方向に軽度の陳旧性頚管裂傷が認められた旨証言し、同証言により成立を認める甲第四号証(幸野病院の原告絹代のカルテ)にはその旨の記載があるほか、同号証並びに同じく右証言により成立を認める甲第三及び第五号証(いずれも幸野病院の原告絹代のカルテ)には、原告絹代に陳旧性頚管裂傷が存在することを前提とする記載がある。
4(一) しかしながら、河井医師は、証人として、本件鉗子分娩後、側切開した会陰部の縫合を行う前に、自ら右手人差指と中指を膣内に挿入して子宮頚管壁を挟んで頚管を一周させる方法により触診を行つた上、膣鏡を膣内に挿入してガーゼで膣内の悪露をふき取りながら視診を行い、子宮頚管等に裂傷などがないことを確認し、また、昭和四八年六月二二日、再入院した原告絹代に子宮内容物清掃術を施行した時にも、頚管裂傷は認められなかつた旨証言し、保坂医師も、証人として、同年七月一八日に原告絹代が外来で大蔵病院を受診した時に内診を行い、子宮の状態も診察したが、頚管裂傷は認められなかつた旨証言している。
(二) しかのみならず、証人矢花秀文の証言によれば、本来縫合しなければならない程度の高度の頚管裂傷が発生したのにこれを放置した場合、子宮膣部に変形を来すなどして、その後日時を経過しても頚管裂傷が発生したことを比較的容易に診断することができることが認められるところ、《証拠略》によれば、原告絹代は、昭和四八年八月二五日、腰痛と左下腹部痛を主訴として、東京慈恵会医科大学附属病院(以下「慈恵医大病院」という。)を外来で受診したが、伊村医師による内診の結果によれば、子宮膣部、外子宮口に特に異常なところはなく(陳旧性)頚管裂傷の所見はなかつたこと、原告絹代は、昭和四九年三月一日、性器出血と月経困難を主訴として、慈恵医大病院第三分院を外来で受診したが、その際の内診の結果によれば、同原告には子宮膣部びらんと経産婦に通常見られる外子宮口の横裂が認められたが、(陳旧性)頚管裂傷の所見はなく、子宮旁結合織にも特に異常なところはなかつたこと、原告絹代は、さらに、同年八月二二日、性器出血と左下腹部痛を主訴として、慈恵医大病院を外来で受診し、その後通院していたが、同年一〇月二四日の矢花秀文医師による内診の結果によれば、外子宮口に小指頭大の頚管ポリープが認められたが、(陳旧性)頚管裂傷の所見はなかつたことがそれぞれ認められ、また、《証拠略》によれば、原告絹代は、昭和五〇年一月一四日、帯下、出血が続くことなどを主訴として東京都立母子保健院(以下「母子保健院」という。)を外来で受診した後、同年一一月二七日まで通院を続け、子宮卵管造影術などの不妊症の治療を受けたが、この間、外子宮口の横裂、子宮膣部上唇のびらんが認められ、また、外子宮口に頚管ポリープが認められて切除術が施行されたが、(陳旧性)頚管裂傷の所見はなかつたこと、原告絹代は、昭和五一年四月八日、腰痛、妊娠希望などを主訴として、母子保健院を再度受診したが、その際の寿田鳳輔医師の内診の結果によれば、外子宮口の横裂が認められたが、(陳旧性)頚管裂傷の所見はなかつたことが認められる。
(三) また、《証拠略》によれば、原告絹代は、昭和五二年二月一五日、性器出血等を主訴として、幸野病院を外来で受診したが、その際、原告絹代が前に鉗子分娩をして頚管裂傷が生じたことがあると訴えたため、遠藤医師が内診したが、子宮頚管部に(陳旧性)頚管裂傷は認められなかつたこと、その後、原告絹代は、妊娠二か月の切迫流産ということで同月一九日から同年三月三日まで同病院に入院したが、その間の同年二月一九日に幸田医師が内診した時には、子宮頚管部に(陳旧性)頚管裂傷は認められなかつたこと、その後切迫流産が一応の治癒をみたので外来診察に移行したが、原告絹代は、同年四月一〇日性器から大量の出血があつたため直ちに幸野病院に再入院し、幸野医師は、母体の状況からもはや妊娠を継続することは不可能と判断して翌一一日ヘガールの頚管拡張器を使用して子宮頚管を拡張した上、子宮内容物除去術を施行したことが認められる。そして、《証拠略》によれば、頚管拡張操作を伴う子宮内容物除去術の施行によつて頚管裂傷が発生する危険があることが認められる。
5 右のとおり、原告絹代の分娩を担当した保坂、河井両医師が本件鉗子分娩による本件頚管裂傷の発生を否定する証言をしているばかりでなく、前示のとおり、原告絹代の分娩開始から児及び胎盤の各娩出並びに側切開した会陰部の縫合を了するまでの総出血量は一七〇ミリリットルで、通常の分娩よりもやや少ない程度であつたこと、昭和五三年二月二八日東京母子病院で認められた陳旧性頚管裂傷は顕著なもので、子宮膣部の短縮や子宮旁結合織の硬結を伴つており、原告絹代の子宮頚管部を内診した医師がこれを看過するとは通常考え難いところ、本件鉗子分娩施行後に原告絹代の子宮頚管部を内診した慈恵医大病院、同病院第三分院及び母子保健院においてはいずれも(陳旧性)頚管裂傷の所見が認められていないこと、また、前記3記載の幸野医師の証言によれば、昭和五二年二月二六日原告絹代に軽度の陳旧性頚管裂傷を認めたというのであるが、右は昭和五三年二月二八日東京母子病院で認められた前記陳旧性頚管裂傷の状態とは符合しないこと、しかも、原告絹代に対しては、その間の昭和五二年四月一一日、幸野病院において頚管裂傷の発生する危険性のある頚管拡張操作を伴う子宮内容物除去術が施行されていること、以上の点をもかんがみると、前記3記載の荒木、幸野両医師の各証言並びに甲第三ないし第五号証及び第一二号証の各記載があるからといつて、東京母子病院で認められた前記頚管裂傷が本件鉗子分娩によつて発生したものとはにわかに認め難く、他に本件鉗子分娩によつて縫合を必要とする程度に高度の頚管裂傷(本件頚管裂傷)が発生したことを認めるに足りる証拠はない。
6 そうすると、原告らの本訴請求のうち、本件鉗子分娩により本件頚管裂傷が発生したことを前提として損害の賠償を求める部分も、その余の点について判断するまでもなく、理由がない。
五 結論
以上のとおりであるから、原告らの本訴請求はいずれも理由がないものとしてこれを棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条、九三条一項本文を適用して主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 石井健吾 裁判官 木下秀樹 裁判官 増田 稔)